懐かしい蒸気機関車

国鉄の蒸気機関車が全廃になる昭和50年夜間の 室蘭機関区 です。当時は機関区の中には自由に出入り出来たので、学校の事業が終わってから室蘭駅まで列車で通いました。蒸気機関車達は釜に火を入れたまま、まるで生き物のように蒸気を吐き呼吸しているように見えました。人気のなくなった機関区で...
D61型蒸気機関車は9600型の変わりとしてD51型蒸気機関車を改良したもので国鉄最後の蒸気機関車の形式となり僅か6両の改良に留まり、北海道の留萌線と羽幌線で活躍しました。またD51も石炭列車をや貨物列車を牽引して北海道の発展に貢献しました。恵比島峠は勾配がきついため石炭列車は...
名寄駅から約28キロの所に一橋駅があり、名寄本線最大の難所、天北峠の入り口です。上興部駅までの11キロの区間は積雪が多く、粘り強く走る9600型蒸気機関車でも単機で登る事は困難を極めました。貨物の多い時は待機している9600型が重連列車となってこの峠に挑みます。一橋駅がよく見え...
石北本線 は旭川から網走までに234キロの鉄路で途中生田原駅〜留辺蘂駅間に常紋信号所がかつてあり、急勾配が続く最大の難所でした。写真は網走駅に近い 端野駅 , 女満別駅 を発車する C58型蒸気機関車 でD51とともにこの路線の主力機関車でした。1月の網走地方は寒さも厳しく雪も...
深川駅と留萌駅を結ぶ全長50.1キロの 留萌本線 はちょうど中間地点に恵比島峠があります。それほど急勾配ではありませんが、貨物列車を牽引した 9600型蒸気機関車 はマイナス18度の朝靄にかすんだ 恵比島峠 を軽快に登って行きます。留萌本線は今後廃止になる公算が大で、バスによる...
私が鉄道写真に興味を持ったのは中学生時代で中学校のあった場所が、室蘭本線の近くと言う事もありハーフカメラのオリンパスペンを持って、本輪西駅から発車するタキ貨物を牽引するD51の発車シーンを撮影していました。ハーフカメラとは今で言うとAPSサイズのフィルムカメラです。その頃から自...
1911年夕張線の清水沢と南大夕張間が石炭専用鉄道として開業しました。その後大夕張炭山まで延長され、1956年 三菱鉱業大夕張鉄道 となり、石炭輸送、沿線住民の旅客輸送、木材の運搬などに活躍しましたが、相次ぐ炭鉱の閉山に伴い1987年に全線廃止になりました。この沿線の 大夕張駅...
網走市大曲町付近からの 湧網線 、大曲橋を渡る9600型蒸気機関車です。この橋の奥には国道238号線が走っており現在は片側2車線の道路になっています。この。この網走側の右奥には網走刑務所があります。正面の山に登ると湧網線と石北線が同時に見えます。この川は網走湖につながっており、...
当時使っていたカラーポジフィルムは、コダックのエクタクロームかコダクロームでした。エクタクロームは大変優れたカラーポジフィルムで、解像度も高く、当時の撮影は三脚を使っていたので、カメラぶれなどもほとんどありませんでした。コダクロームは粒子のエッジ効果で、写真がシャープに見え、コ...
赤平駅は滝川駅を起点とし根室駅まで全長443,8キロの根室本線の滝川駅から3つ目の駅で空知炭鉱の赤平鉱業所から赤平駅まで専用線が引かれ石炭を室蘭港に運んでいました。全盛期には石炭貨物の取扱量が日本一でした。昭和40年代に入るとエネルギー転換政策により赤平にあった各炭鉱は閉山に追...