40年前の本輪西駅から発車したタキ貨物を牽引するD51の写真です。当時の本輪西の町は高度成長期の時代で町の発展も目覚ましく、日本石油は石油製品製造、栗林商会は製品の運搬など町は活気にあふれていました。小学校の1学年のクラスも6クラスまであり大勢の子供たちが本輪西小学校に通っていました。その学校も長い歴史に幕を閉じ今年の春閉校になりました。写真に写っている石油タンクや港の倉庫など,現在は無くなっています。昭和50年はまさにエネルギーの転換期でもあり石炭から石油に国策が変わっていった時代でした。石油を燃料にするディーゼル機関車に追われるようにD51も姿を消していきました。時代は変わり40年後、製油所の石油精製も廃止になり,町の人口も急激に減少しています。写真は石炭で走るD51が灯油を運んでいる最後の年の写真です。
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当時の本輪西は石油製品の輸送の拠点でした。出光、モービルなどの石油大手の会社のタンクが写っています。 |
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現在はタンクなどは無くなり、40年前の面影は残っていません。 |
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