懐かしい蒸気機関車

昭和50年夏の夕張線、夕張駅

夕張駅は明治25年に開業し夕張炭山から採掘される石炭の積み出しと、そこで働く人々の交通の手段として大きな役割を果たして来ましたが、炭鉱の閉山に伴い急激な過疎化が進み、駅の場所が3度も変わった経緯があります。現在の駅はホテルマウントレースイ前にあり、この駅が3代目の駅になります。昭和50年当時は石炭の採掘は斜陽になっていましたが、夕張の町は活気に満ちていました。狭い谷間に発展した夕張の町はその両側に山ほども高く積み上げられたぼた山からの俯瞰写真は航空写真のようになりました。黒いダイヤと言われた石炭は多くの人々の生活を支えていた時代でした。
夕張駅に向って空の石炭列車を牽引するD51の重連列車です。背景には炭鉱住宅が写っています。中央の2階建ての建物は旅館のように見えます。
中央の建物が初代夕張駅です。旅客はここが終点ですが、貨物はそのまま石炭の積み出しの為にさらに奥まで入って行きます。後ろの建物は学校ですね、昭和35年に夕張市の人口は116908人と最多となり、昭和50年は50131人と半減してしまいました。平成28年の人口は8851となり、当時の建物などほとんど残っていません。
夕張駅構内の写真です。少し左下に転車台がありD51が方向転換しています。駅は右隅にあり、写真でも分かりますが夕張の町は奥に行くに従って町の幅が急激に狭くなります。



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