懐かしい蒸気機関車

昭和50年、過ぎ行く夏の日、白老駅その3

昭和50年は国鉄のSLにとって最後の年となり,本州からの鉄道ファンが北海道に大勢押し掛けました。当時私は高校3年生で卒業後の進路も決めずに鉄道写真に熱中していました。室蘭と岩見沢を結ぶこの列車には移動手段としても大変お世話になり乗車中の思い出も沢山あります。中でも追分駅から乗って来た中学生が私の向かいの座席に座り開けたアルミのカメラケースからニコンF2フォトミックにモータードライブを装着したカメラと高額な望遠レンズ見せつけられてしまいました。当時モータードライブは憧れの的で,私の持っている撮影機材のお粗末さに呆然としながら、安物のカメラバックを膝に抱えたまま,東京から来たと言う、その少年は一体何ものなのか不思議でなりませんでした。そして東京への憧れを抱いたのも確かです。半年後私は一人、上野行きの夜行列車に乗り東京で写真を学ぶ事になったのです。消え行く蒸気機関車を求めて日本中が猫も杓子もSLを追っかけていた時代でした。
本州からの観光客です。この頃は本州のSLは全廃になりSLが珍しかったんでしょうね。鉄道ファン以外の人も記念に写真を撮っている姿があちらこちらの駅で見る事が出来ました。また若者の北海道旅行がブームでもあり、鉄道の乗り放題の周遊券と言う本州でしか買えない切符もありました。

ネガをスキャナーしていたら思わぬ発見もあります。こんな情緒的な写真を17歳の私が撮っていたんですね。確かにこの写真は私が撮りましたが,撮った事を思い出せないんです。41年間人生色々ありましたから、生死の境をさまよって三途の川を渡り損ねてこの世に帰って来たり,忘れますよね。でもその時の私のカメラアイは鋭くその一瞬を切り撮っていました。あらためて写真ていいですね。

0 件のコメント

コメントを投稿